天照皇大神

夢見ヶ崎動物公園のある加瀬山(かせやま)には、動物たちだけでなく、いくつもの神社やお寺が同じ丘の上にあります。その一つが天照皇大神(てんしょうこうたいじん)です。動物を見て回ったあとにそのまま立ち寄れる場所にあり、「夢見ヶ崎」という地名そのものの由来にもつながる神社です。この記事では、由緒と見どころ、参拝やアクセスの情報まで、動物公園とあわせて楽しむ視点でまとめます。

天照皇大神とは(読み方と場所)

天照皇大神は、神奈川県川崎市幸区南加瀬にある神社です。読み方は「てんしょうこうたいじん」。御祭神の名にちなんで「あまてらすすめおおかみ」とも呼ばれます。

加瀬山という緑の丘の上に鎮座し、その丘全体が夢見ヶ崎動物公園になっています。つまり、動物公園と神社は同じ場所にあります。「夢見ヶ崎動物公園のなかにある神社」を探して来る人が多いのは、このためです。

「夢見ヶ崎」の地名の由来と、太田道灌が見た夢

この一帯を「夢見ヶ崎」と呼ぶようになったのには、室町時代の武将・太田道灌(おおた どうかん)にまつわる言い伝えがあります。

道灌は加瀬山に城を築こうと考え、この地にこもって一夜を明かしました。その夢の中で、東北の空に鶴が舞う姿を見たと伝えられています。道灌はこれをお告げと受け止めて加瀬山での築城をやめ、鶴が舞った東北の地――のちの江戸城(千代田城)の場所に城を築いたとされます。武蔵国の中心となる城が、この丘で見た夢から動き出したという話です。

夢を見た岬(崎)だから「夢見ヶ崎」。動物公園の名前も、この神社に残る伝承から来ています。園内で鶴の仲間を見かけたら、この言い伝えを思い出してみてください。

古墳の上に建つ本殿と加瀬山の丘

天照皇大神の本殿は、加瀬台古墳群7号墳という古墳の上に建てられています。古墳の上に社殿が乗っているという立地そのものが、この丘の歴史の古さを物語ります。

加瀬山は多摩川の下流域を見わたせる低い丘で、古墳時代にはこの地を治めた有力者の墓がいくつも築かれました。近年は「加瀬山 古墳」を調べる人が増えていて、丘の成り立ちへの関心が高まっています。動物と古墳、そして神社が同じ丘に重なっているのが夢見ヶ崎の特徴です。

祀られている神さま(御祭神)

この神社は、祀られている祭神の組み合わせが特徴的です。伊勢神宮内宮の正殿にまつられる天照大神(あまてらすおおみかみ)と、荒祭宮(あらまつりのみや)にまつられる撞榊厳魂天疎向津姫命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)――またの名を瀬織津姫(せおりつひめ)――が並んでまつられています。この二柱を並べてまつる神社は全国でも数が少なく、参拝の際に注目したいところです。

このほかにも、学問の神である天満大自在天神(菅原道真)、誉田別命(応神天皇)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、白山比咩命(しらやまひめのみこと)などがまつられています。暮らしのさまざまな願いを受けとめる神社です。

歴史 鎌倉時代末期の創建と小田原北条氏

天照皇大神の創建は、鎌倉時代末期の元弘年間までさかのぼるとされます。

戦国時代の明応の頃には、小田原を本拠とした北条氏の祈願所となりました。北条早雲の曽孫にあたる北条氏政の代には、八棟造(やつむねづくり)と呼ばれる立派な社殿が建てられたと伝えられています。小さな丘の神社が、関東の武将たちに古くから重んじられてきたことがうかがえます。

参拝・ご祈祷・御朱印・お祭り

初宮詣(お宮参り)、七五三詣、合格祈願、交通安全、家内安全、厄除など、暮らしの節目のご祈祷を受け付けています。地鎮祭や竣工祭、家やマンションのお祓いといった建築にまつわる祈願にも対応しています。

一年を通してさまざまな祭礼があります。いちばん大きな例祭は8月の第1日曜日。ほかに歳旦祭、祈年祭、新嘗祭(勤労感謝祭)、冬至の星祭(ほしまつり)、6月と12月の大祓(おおはらえ、茅の輪くぐりの神事)などが営まれます。

御朱印もいただけます。ただし対応の時間帯は変わることがあるため、参拝前に社務所へ確認すると確実です。

参考にした主なサイト(出典)

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