了源寺(りょうげんじ)

了源寺とは
了源寺は、川崎市幸区北加瀬にある日蓮宗の寺院です。山号を頂竜山といいます。建っているのは、夢見ヶ崎動物公園と同じ加瀬山(かせやま)の丘の上。動物公園とあわせて訪ねられる、地域の歴史を今に伝えるお寺です。
了源寺の歴史
了源寺のはじまりは、日蓮の弟子である日頂(にっちょう)が開いたと伝えられる「加瀬山妙法寺」にさかのぼります。その後、妙法寺は荒廃しましたが、1615年(元和元年)に工藤重則を壇越(だんおつ。寺を支える施主)とし、日啓を開山として現在の地に再興され、頂竜山了源寺と改められたとされます。
創建の経緯は史料によって伝えが分かれる部分もありますが、加瀬山に古くから続く日蓮宗の寺として受け継がれてきました。
鬼子母神と本堂
了源寺には、子どもを守る神として知られる鬼子母神(きしもじん)がまつられています。この鬼子母神は、1739年(元文4年)に川で拾い上げられたものと伝えられます。現在の本堂などは、1752年(宝暦2年)に再建されたものです。
赤穂義士ゆかりの軽部五兵衛家
了源寺には、忠臣蔵で知られる赤穂義士とゆかりの深い、軽部五兵衛(かるべごへえ)家の墓所があります。軽部五兵衛家は、かつてこのあたりの平間村(現在の川崎市幸区)で栄えた豪農でした。
赤穂義士の討ち入りをひかえた大石内蔵助が、江戸へ入る前に軽部五兵衛の屋敷に身を寄せたと伝えられます。軽部五兵衛は、討ち入りを陰で支えた協力者として語り継がれてきた人物です。その墓所は山門の前にあり、了源寺が赤穂義士の物語とつながる場所であることを、今に伝えています。

境内に残る古墳
了源寺の境内には、加瀬台古墳群の4号墳にあたる「了源寺古墳」があります。5世紀に築かれた円墳で、1910年(明治43年)には獣身鏡2面と鉄斧が出土しました。お寺の敷地が、古墳時代から続く長い歴史の上にあることを物語ります。
参考にした主なサイト
- Wikipedia「了源寺 (川崎市)」: https://ja.wikipedia.org/wiki/了源寺_(川崎市)
- Wikipedia「大石良雄」(平間村・軽部五兵衛宅滞在の伝承): https://ja.wikipedia.org/wiki/大石良雄
- 川崎市 幸区「加瀬山」: https://www.city.kawasaki.jp/saiwai/page/0000024586.html
- tesshow.jp「了源寺(川崎市幸区)」: https://tesshow.jp/kanagawa/kawasaki/temple_saiwai_ryogen.html










































